海外住み女の頭の中

好きなヒト・コト・モノだけを自分のために書く

説教したがる男たち

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レベッカ・ソルニット氏の「説教したがる男たち」を読んだ。

私は一年前までフェミニストを誤解していた部分があった。フェミニストは口うるさくて攻撃的な印象があった。

これはメディアによって作り上げられたフェミニスト像の印象操作である。それにまんまと自分も乗せられていたと最近わかった。

去年ジェンダーにまつわる社会問題や自分の中の長年の違和感に気づくきっかけがたくさんあり、自分のペースでフェミニズムを勉強しようと思った。

マンスプレイニングという言葉も去年知った。Man+explaining、聞いてもいないのに説明したがる男性を意味してマンスプレイニング。

言葉の定義は問題を明らかにするのに役立つ。

マンスプレイニングには国境がなく、日本人男性も西洋人男性もする。

思い当たることが多々ある。

男性から聞いてもいないアドバイスや説教が始まると、「あー、またマンスプレイニングが来たな」とすぐにわかる。

本の中では、芸術家のアナ・テレサ・フェルナンデス氏について、言葉には力があること、そして現代における革命についての話が印象的だった。


私は以前から何度か表明しているが、フェミニズムの問題は女性vs.男性だと思っていない。女性vs. 社会構造だと思っている。

これは以前読んだレティシア・コロンバニ氏の「三つ編み」という小説から学んだことでもある。私のお気に入りの本でもある。

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自分の違和感を言語化することは大切だ。

これからも少しずつ社会問題について学んでいく。

– "説教したがる男たち" by レベッカ・ソルニット, ハーン小路恭子.
https://www.amazon.co.jp/%E8%AA%AC%E6%95%99%E3%81%97%E3%81%9F%E3%81%8C%E3%82%8B%E7%94%B7%E3%81%9F%E3%81%A1-%E3%83%AC%E3%83%99%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%BB%E3%82%BD%E3%83%AB%E3%83%8B%E3%83%83%E3%83%88-ebook/dp/B07KGPR24V

https://www.amazon.com/Men-Explain-Things-Rebecca-Solnit-ebook/dp/B00IWGQ8PU


レティシア・コロンバニ「三つ編み」
https://www.amazon.co.jp/dp/B07R77MRBH/ref=cm_sw_r_cp_awdb_EWJD9P968PQFFY5QXV3Y

ラオス・ヴィエンチャンにいた宇宙の人

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2007年6月。
私はタイのバンコクにある某外資系会社を辞めた。


会社をやめると、ワークパーミット(労働許可証)を没収されるので、一週間以内だったか忘れたがタイ国外に出る必要がある。


私はラオスの首都、ヴィエンチャンに行くことにした。

バンコクのバスターミナル、モーチットからVIPバスに乗る。


凍えるほどクーラーのきいたバスの中で眠り、音楽を聴き、窓からタイの田舎の風景を眺める。


途中、休憩所に立ち寄り、センレックナーム(ライスヌードル、汁あり)を食べたり、水やお菓子を買い込み、バスの中で食べたり飲んだりする。

そうこうして、12時間ほどかけてタイとラオスの国境に辿り着く。


国境でパスポートコントロールを終え、ラオスの国境に入ると、ソンテウ(数人乗れるタクシー)やタクシーが待ち構えている。

タクシーに乗り込み、ヴィエンチャンの市内へ入る。


ラオスの首都ヴィエンチャン
首都と言ってもバンコクや東京、ローマなどとは違い、めちゃくちゃ小さい。

主要な観光地は凱旋門と市場、噴水、メコン川位だ。
大げさではなく片道徒歩数十分で主要な観光地は大体まわれるだろう。

少し足をのばしたいときは自転車、バイクを借りたり、タクシーをチャーターする。

タクシーをチャーターすればブッダパークにも行ける。面白いので写真撮影に何度か友達連れて行ったことがある。


元々フランス領だったラオス

ヴィエンチャンルアンパバーンではフレンチレストランやカフェ、ベイカリーショップが充実している。

フレンチのコースは絶品で、日本や本場のフランスの相場では考えられないほど安い。

当時はバンコクで美味しい本格的なフランスのバゲットが手に入らなかったので、ビザのためだけでなく食を楽しみに暇を見つけてはラオスに遊びに行った。

バンコクの喧騒から一時的に離れ、ある意味リセットする時間と空間を持つことも自分にとっては大切だった。


ヴィエンチャンでまわるレストラン・カフェは何度も足を運び厳選していたので、そのときにはどこに行くかは大体決まっていた。


そのうちの一つ、雰囲気の良いフレンチレストランは凱旋門からさらに少し離れていたので、
市内のレンタルバイク屋で自転車を借りた。

しかしいざフレンチレストランに着くと、
レストランはたまたま休みだった。

がっかりして自転車に乗って市内へ戻る途中、凱旋門の前で自転車のチェーンが外れた。

仕方がないなと自転車を手で押しているときに突然、

「お嬢さん。どうされましたか?」

と日本語で声をかけられた。


初老の紳士的な男性が立っていた。

男性は田中さん(仮名、というか覚えていない)といった。

自転車のチェーンが外れたことを告げると、
すぐに通りかかったソンテウ(ピックアップトラックタクシー)をチャーターしてくれて、一緒に市内まで帰った。
歩いても10分くらいなのだが、ちょうど田中さんも市内に戻ると言っていたのでお言葉に甘えた。


レンタルバイク屋の前で降り、
「自転車のチェーンが外れた」
と店の人に告げて自転車を返した。


そこから目と鼻の先にあるラオス料理屋で
田中さんと昼食を食べた。


その後、向かいにあるカフェに入った。
このカフェも洗練されていて質が高い。
いつ行っても人で賑わっていた。

いつものカフェラテとチーズケーキを頼み、田中さんと2階にあがった。


田中さんは、突然

「すべては宇宙に決められているんだよ」

と言った。


どの話のタイミングだったかはわからない。


もしかすると、ラオスに来る直前に辞めてきた会社の話をしたからかもしれない。


「生まれて初めて人生において挫折を味わった」

と言うようなことを伝えたからかもしれない。



私は

「宇宙、ですか」

と返した。


返しつつ、

「あれ、田中さん、大丈夫かな...」

と一瞬思ったが、バンコクに住んでからある程度は他人のことを受け入れる器が大きくなっていたし、人を見る目は養われていたと思うので思い直した。



田中さんは、ラオスである事業を営んでいる社長らしかった。

受け答えをしていて怪しい感じはしなかった。


田中さんは、こう続けた。


「このカフェが繁盛しているのは、
トイレがきれいだからだよ。
ちゃんとこまめに掃除しているでしょ」


宇宙の後にトイレが来たからやや混乱したが、

「なるほど」

と伝えた。


「じゃあ今私が仕事を辞めてラオスにいるのも宇宙によってすでに決められているからなんですか?」

とか質問をいくつかして


「そういうこと」

というような返事を都度もらった。


ラオスのフレンチカフェと宇宙とトイレ。

予期せぬ言葉の羅列だったが、それでも

「全ての出来事は既に宇宙に決められている」

という考え方は面白いと思った。


それをそのまま信じるかどうかは、個人の自由だろう。


カフェで宇宙について少し聞いたあと、
田中さんとはさらっと別れた。


そこに感動も寂しさも

「明日もどこどこに行きましょう」

といったベタベタした人間関係もない。


「宇宙の話面白かったです。
 では」

というだけだった。


その後、ヴィエンチャンに数日間いたのか一週間以上いたのかは覚えていない。


覚えているのは、期間を設けず、旅をしばらく楽しむことにしていたことだ。


辞めてきた会社でボロボロになっていた心と身体を癒し、自分自身を取り戻すには旅が一番だと知っていた。


会社勤めではまとまった長い休みが取れない。
これは旅人の自分にとっては辛いことだった。


いつものようにラオス式ハーバルサウナに行き、当時あった日本料理屋やラオス料理を堪能し、フレンチカフェ巡りをした。


その後マレーシア、タイ国内を少しまわってリフレッシュしてから、バンコクへ戻って就職活動をし、再就職した。

オリーブと仲良しの基準

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家の前にあるたった一本のオリーブの木からオリーブの実をとれる範囲で収穫した。

大家さんも含め誰もこのオリーブを収穫しない。
飾りの木のような位置づけだから。

それでも、近所に住む農家のナッザレーノおじいちゃんがたまにこのオリーブの木を心配そうに見に来ては、「ちゃんと剪定しなきゃだめだ」と言って枝を切っていく様子を見たりしていたので、収穫した。

オリーブオイルにする量ではないので、オリーブの塩漬けを作ることにした。


オリーブをつんでいる最中に不意に思い出したことがあったので、以下に書いてみる。


友達を作る基準について。



あるとき、友人Aからオリーブオイルを頂いた。
オリーブの畑を持っているらしく、オリーブオイルをもらうまでそのことについて知らなかった。


何かのタイミングで違う友人Bに「そういえばAさんからオリーブオイルをもらった」と話したときに、Bが「オリーブオイルをもらえるならAさんと友達になりたい」、と言った。


私はその「〇〇が欲しいから友達になりたい」という発想そのものがなかったので、とても驚いた。


私は話していて楽しい人、一緒にいて居心地が良い人、自分の好きなことをしている人、自立している人と友達になることが多い気がするので、価値観が全然違うと思った。


もやもやしたが、それについてはBには特に突っ込まずに、

「へー」

と言って終わった。


そのときに、物だけではなく、肩書やお金持ちかどうか、権威があるかどうかで仲良くなろうとする人っているよな、と思い出した。



例えば、フィレンツェで美術学校に通っていたときもそうだった。

学校には喜怒哀楽が激しく苦手な先生が一人いた。
しかしその先生はそのアート業界では権力を持っていたので、裏では不満で愚痴ばかりでも、表では従順な態度を取る生徒も多かった。


大人な態度でやり過ごすのはわかるが、わかりやすくイエスマンになって従順な態度を取る人に対して少し違和感があった。
自分にはできなかったし、したいとも思わなかった。


またある友人は、

「相手からお返し、見返りが欲しいから、色々人に物をあげたり、世話をやいたりしてる」

と言った。

この発想も自分にはなかったので、新鮮だった。


でもよく考えれば、日本で「バレンタインデーに男性にチョコをあげるのは見返りを期待して」、という人も一部いるのだろうから、良いか悪いかは別として、そういう考え方もあるか、と思い直した。


ちなみに、与えたら見返りを待つというのは執着になって面倒くさいから、金銭か物々交換でその場でさくっと終わらせる方が自分は好き。



以前住んでいたバンコクにも、肩書で人を選ぶ人にたくさん遭遇した。


バンコクに来たばかりの人で「右も左もわからない」と言って仲良くしようと最初すり寄ってきた人が、やがてバンコク生活に慣れ、どんどん日本人コミュニティで有名になっていったりすると、会ってもあいさつせずにツンとする人もいた。


「役に立つか、立たないか」
「著名であるか、そうでないか」
「お金持ちか、そうでないか」
「権力があるかないか」

で判断されることがあって、
そのいずれにも当てはまらない私は簡単に切り捨てられる、ということはそのときにわかった。


そしてそういう人とはそもそも価値観が全然違うので、今後人生で交差することがない。

ただそれだけなので、悲しいとか虚しいという気持ちもなく、「とてもわかりやすい人だったな」で終わったりしていた。


「役に立つか、立たないか」
「著名であるか、そうでないか」
「お金持ちか、そうでないか」
「権力があるかないか」

これらにとらわれない人たちが残り、
今のところ関係を保っている、と思う。

そうであってほしい気がする。


でも相手からすると違うのかもしれないし、
自分も無意識のうちに利害関係に基づいて人を選び、関係を構築していっているのかもしれない。


それはそれで仕方がないことなのかな。



何だか塩漬けされる前のオリーブのように少しビターな話になってしまった。



とにかく、オリーブの塩漬けができるのが待ち遠しい。


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来るもの拒まず、去るもの追わず

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前回タイに住んでいたときの思い出を書いて思い出したことがあった。

前回の話はこちら↓
https://blue-cactus.hatenablog.com/entry/2020/10/03/091739?_ga=2.173283364.601171143.1601682700-179909200.1554230018


ゴンにはオーさんというルームメイトがいて、
私も仲良くしていた。


ある日、オーさんは私に何も言わずに荷物をまとめて、アパートからサッといなくなった。


ゴンに聞くと

「あ、転職したから引っ越すってさ」

とあっけらかんと言った。


私は

「そんなに急にいなくなるの?
 お別れのあいさつとか、
 お別れパーティとかしないの?」

と言ったが、


ゴンは

「そんなのは別に必要ない」

と言った。


程なくしてゴンも転職すると言って、
アパートをサッと出ていった。


そこに、やはり大袈裟なお別れのあいさつもなかった。


「じゃあね〜」

で終わった。



あのタイ人の友人たちの物事を大袈裟にしない姿勢は新鮮だった。

そこに寂しさも涙も感動もドラマもなかった。



バンコクで働いていたときに驚いたことは
タイ人は仕事が合わなければ
入社して1日でサッと辞めていくことだった。


ときどき面接にすら来ないこともあったし、
何年も働いていてから、突然連絡なく辞めることもあった。


「どうしたの?
 辞めるならなにか言ってくれればいいのに...」

と連絡をとってみても、
やはりあっけらかんとしていた。


会社を辞めた人が以前勤めていた会社のパーティに遊びに来るというのもよくあった。


辞めた会社のパーティなんて日本人からすれば絶対に行きたくないと思うだろうが、彼らにとっては違った。


昔の友達に会いに来る感覚で参加していたし、
嫌いだった元上司の存在もどうでも良さそうだった。

また、働いてるタイ人の元同僚たちも

「昔の仲間が来たから一緒にパーティ楽しもう!」

という感じで普通に受け入れていた。



それが良いか悪いかは賛否両論であろう。


日本人にはなかなか理解できない感覚かもしれない。

でも自分の感情を最優先にするのは
純粋にいいな、と思う。


人間らしくいるために、本当はそのほうが幸せなのではないか。


私は留学時代も含めタイに8年暮らしたが、タイ人のことは住めば住むほどよくわからなかった。



それでも、今タイ生活を振り返ると
とてもあたたかい気持ちになる。



だからすごく感謝しているし、
また里帰りできることを楽しみにしている。

テレビの向こう側の人

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2006年、バンコクタイ語の語学学校に通っていたときの話。


住んでいたアパートの同じ階に住むタイ人の友達、ゴンは日系の旅行会社のガイドとして働いていた。


ゴンは敬虔な仏教徒で、私が蚊を殺すことも良しとしないような人だった。



ある日、ゴンが言った。


「日本の芸能人2人が今回のツアーのお客さん。
〇〇と〇〇っていう人知ってる?
 夜バーに行くから一緒に来なよ」


日本のお茶の間でも人気の芸能人だった。


私は

「いやいや。私はただの一般人だよ。
 そこに行けるわけないじゃん」

と返した。


それでもゴンは言った。


「人間に上も下もないよ。
 みんなただの人間なんだよ」


おお。
ゴンは達観してるなと思いつつ、

「いやでもこれ仕事なんでしょ?
 私みたいな学生が行っても場違いというか...」

何度か断った。


それでもゴンは強引に誘った。

「関係ないよ。全然問題ないから。
 とにかく来てね」


マイペンライマイペンライ(大丈夫、大丈夫)
と繰り返し言われ、結局バーに行くことになった。



バーに着いてからの記憶はあまりない。

彼らが有名人だからといって騒ぐことも緊張することもなかった。


彼らの仕事の打ち合わせになぜか学生の私が潜り込んでいるという不思議な光景だった。


「なんで私ここにいるんだろう」

と客観的に見て思った。


ドリンクを飲み終え、もう充分だと思い、
挨拶して店を出ようとした。


そこで初めて芸能人の一人に

「あなた、タイで何してるの?」

と聞かれ、


タイ語を学んでいる学生です」

と伝えた。


すると

「私も頑張るからあなたも頑張ってね!」

と元気よく握手されて終わった。


ただそれだけだった。

ゴンの言うとおり、普通の人間だった。


なるほどなあ、と思った。



今でもゴンの

「みんなただの人間なんだよ」

という言葉を、ときどき思い出す。



テレビの向こう側の人を必要以上に神格化したり、雲の上の人と勘違いしている人は、多分日本に多いのだろうと思う。


インターネットが普及したとはいえ、
テレビを絶対視する人も決して少なくなさそうだ。


かつての私がそうだったように。


テレビは創られた虚構の世界。



有名人であっても、著名人であっても、
自分と同じただの人間。


上も下もないのだ。

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俺、頑張ってるアピール

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(2020年8月の雹)


バンコクでOLとして働いていたときに、日本の各支店からよく電話がかかってきた。


電話だから緊急で、重大な案件だと思いがちだが、蓋を開けてみると大した要件ではないことの方が多かった。


電話では
時々仕事とは関係ない楽しい話をする人もいたが、
30分長々と中身のない話をする人もいた。


私が当時電話で話していたのは100人を超えるだろう。


今でもなぜか時々思い出すのは
「俺、頑張っているアピール」を必死にしていた人だ。


その人の名前も覚えていないし、
日本へ出張に行ったときに会ったことも多分ない。


思い出すのは、そこに日本の会社文化が抱える問題点が透けて見えるからなのかもしれない。



ある夜、日本から私の携帯電話に電話がかかってきた。日本時間21時、タイ時間19時頃だった。
携帯電話は会社から与えられていた。


その時、私はすでに家に帰っていて、
ゴーヤチャンプルーを作っていた。


「はい」


携帯を耳と肩の間にはさみ、
そのままメモも取らずに菜箸でゴーヤチャンプルーを炒めた。


「〇〇支店の〇〇ですが、緊急で対応してほしい見積りがあって」


と彼は切り出した。


ジュージューとゴーヤチャンプルーを炒めながら、

「はあ。でも私もう家に帰ってきてるんですけど」

と素っ気なく返答した。


私は当時100人以上仕事上で電話で話をしていたが、自分でできることをせず、甘えてくる日本人の同僚が半数以上だったのでこの頃には電話の対応が素っ気なくなっていた。


「え? もう家にいるんですか?」

彼はありえないといった風に言った。


タイの支店は17:30が定時で、私は多少は残業をしていたが極力早く帰るようにしていた。


私はマネージャー職だったので残業代はついていなかったし、タダ働きは極力しない主義だった。


「いや、定時は17:30なので。
 今夕食の準備中なんですけど」

と言って、私はゴーヤチャンプルーを炒め続けた。


「はぁー」

彼は

「俺はこんな時間まで働いているのに、もう夕食の準備をしているなんて何たることだ」

とでも言いたいかのようにため息をついた。


「必要な見積り条件をメールに書いて送っておいてください。明日見るので」

と何度か繰り返し伝えた。


彼は少しごねたが、渋々承知して電話を切った。



翌日、会社に着きパソコンを立ち上げ、
ざっとメールに目を通した。


1日あたり受信するメールの数はおよそ200通。


電話を切ったあと、彼は言われたとおり内容をすぐにメールで私宛に送っていた。


その内容を見て

「どこが至急の案件なのか」

とつい笑ってしまった。


当時、見積もり作成依頼は日本からたくさん来た。

日本とタイ間の輸出入ビジネスは多い。


けれど、人命がかかっているとか事故が起きたなどといった場合でない限り、本来「至急」なものはあまりない。


「大至急やれ!」

という人は、それで自分の尊厳を保っていたいだけの悲しいおじさん。


おじさんと敢えて書いたのは、そういう勘違いおじさんが当時本当に多かったから。


また他の男性社員にはこういう無理はあまり言わず女性社員にだけ偉そうにするのも、おじさんアルアルだった。


私はいつものようにメールの内容を英語に訳してから、見積もり作成担当のタイ人同僚にメールを転送して終わりにした。


「俺、21時まで残業して頑張っているアピール」を必死にしていた彼から、二度と私宛に電話がかかってくることはなかった。


私が敢えてこのことを書いたのは彼の事をバカにしたいからではない。


彼の働き方には多くの問題点がある。


・男性社員による女性社員へ、または自分より若い人への圧力。例えば自分の男性上司にはこういう態度は絶対に取らない。

・残業することが偉いと勘違いしている。

・残業を他人に強要する。

・自分の仕事・案件が最重要だと勘違いし、相手の都合を無視して先にやれと声高に訴える。

など。


そして今日もこういう「俺、頑張ってるアピール」をする人による犠牲者は日本中に多くいるのだろう、と想像する。


大事なことは小さな声であっても
俺、頑張ってるアピールをする人に対して、

「その条件では無理です」

「できません」

「〇〇ならできます」

と伝えることだと思う。


そこに

「かわいそうかな」

とか

「傷つけるかな」

とか

「怒られるかな」

といった遠慮はいらない。


毅然とした態度でいれば、
その人から無理強いをされることは少し減るのではないかと考える。



「俺、頑張ってるアピール」をする人から被害にあっている人は試しにやってみてください。


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毒注入

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芝生の上を裸足で歩いているときに、右の足裏の小指と薬指の間に激痛が走った。


この激痛には覚えがあった。


スズメバチか」


しかし、足の裏ではスズメバチらしき、
ブーンとかズズッといった音や動きがなかった。


だから正確にはわからない。

静かなる何者かが足の裏を刺した。


と言うか、運悪く、お互いが気が付かないまま私が踏んづけてしまった形だ。



激痛が走る足を刺激しないようゆっくりと歩き椅子に腰掛け、足の裏を確認した。

とにかく痛い。


粘着質な小さな袋のようなものがついた針がポロッと取れた。


そして小指と薬指の間から足の甲にかけて毒が急速に広がっていくのがわかった。


「毒を止めないと」

と思いなんとなく足の甲をぎゅっとおさえた。

しかしそれはなんの意味もなさなかった。


小指と薬指の間から毒は広がりたいところまで広がり、人差し指の辺りで止まった。

範囲としては半径10cm程。


毒が身体の中を伝う様子が生々しくわかり
少しだけ感動した。


感動という表現が正しいのかはわからない。

けれど、身体の中に毒が注入され、拡大していく様子がリアルにわかったのは不思議な感覚だった。



実はスズメバチに刺されたのはこれが初めてではない。


去年か一昨年も刺された。

だから冷静になっていられた。


前回は庭でシーツを干す時。

バサッとシーツを広げたら
それに驚いたスズメバチがいきなり攻撃的になり私の手の指を刺した。

シーツを広げるときのバサッという動きがスズメバチに恐怖を与えたのだろう。


ミツバチと違い、スズメバチは一度刺しても死なない。


一度刺しただけでは足らなかったようで、もう一度刺そうと相手は攻撃体制を整えた。

その姿は何だか凛々しかった。


「まずい」と思い、慌てて家の中へ逃げた。


急いでスズメバチに刺されたときの対処法をネットで調べた。


刺されたときはまず、水で患部を絞るようによく洗うらしい。毒素が薄まるとかなんとか。

刺されたあとに重症化する人としない人がいる。

そして二回目に刺されるほうが抗体を持っているので症状が酷くなるらしい。

抗体を持っているから酷くならないのではなく、
抗体を持っているから酷くなる、
というのが報われない感じだ。

アナフィラキシーショックで亡くなる人も割合は少ないが、いる。

今思うとちょっと重症化するパーセンテージがコロナっぽいと思った。


私は症状を注視していたが
意識もはっきりしていたので症状が軽いと判断し自分で処置をした。


と言うか、ハチ刺されには特効薬も何もないらしい。

そういえば看護師の母が草むしりの最中にスズメバチに刺され、病院に行き、医師から何も処方されなかったと随分前に言っていた。

だからアナフィラキシーショックがない限り病院に行っても意味がないとわかっていた。


刺された後しばらくすると、痛みより痒みが襲ってくる。

そして個人差があると思うが、
私は少し息苦しくなり、1週間ほどお腹が下った。

「身体が頑張って毒を出してくれているな」

と思った。


今回刺された場所は足だったので、4日間くらい象足のように足が真っ赤に膨れた。
そして蚊に刺されたときの10倍の痒さが続いた。


せめて足の痒みを抑えるため、
腫れた場所の処置をすることにした。


野草のカモミールとマルバ(マロウ)をつんできて、小さな綿の布に入れて縛り、ハーバルボールを作った。

カモミールはイタリアでは(?)ものもらいの時に患部に当てると聞いたことがある。

マルバについては、歯医者から口の中の炎症を抑えるのに濃く煮出してうがいすると良い、と聞いたことがあった。

どちらも炎症を抑えるのにはもってこいなので今回採用した。


ちなみに、ハーバルボールはタイのマッサージの施術でも主流で、ハーバルボールを作っているとき少しだけそのことを思い出した。

「昔の人はどうやって自然のもので治療すればよいのかわかっていたんだな」

と思った。


お湯を沸かし、ハーブティーを入れるようにハーバルボールの上からお湯を注ぎボウルに入れて冷ました。

足が痒くなったら、ハーバルボールをポンポンと患部に叩いた。

そうすると足の痒みと赤みがしばらくすっと消えた。

また痒くなったらハーバルボールでポンポンと叩く、を繰り返した。

ついでに普通の虫刺されにもポンポンしてみたがすぐに腫れとかゆみが引いた。


一週間も経つと痒みも毒出しもおさまった。


「お疲れ様」


と身体に伝えた。


自然界の毒は自然に治す、
を実践した経験になった。


刺されないことが一番だけれど。


(医療の専門家ではないので、上記はすべて個人的な見解です)


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(摘んできたマルバ)