ラオス・ヴィエンチャンにいた宇宙の人
2007年6月。
私はタイのバンコクにある某外資系会社を辞めた。
会社をやめると、ワークパーミット(労働許可証)を没収されるので、一週間以内だったか忘れたがタイ国外に出る必要がある。
バンコクのバスターミナル、モーチットからVIPバスに乗る。
凍えるほどクーラーのきいたバスの中で眠り、音楽を聴き、窓からタイの田舎の風景を眺める。
途中、休憩所に立ち寄り、センレックナーム(ライスヌードル、汁あり)を食べたり、水やお菓子を買い込み、バスの中で食べたり飲んだりする。
そうこうして、12時間ほどかけてタイとラオスの国境に辿り着く。
国境でパスポートコントロールを終え、ラオスの国境に入ると、ソンテウ(数人乗れるタクシー)やタクシーが待ち構えている。
タクシーに乗り込み、ヴィエンチャンの市内へ入る。
ラオスの首都ヴィエンチャン。
首都と言ってもバンコクや東京、ローマなどとは違い、めちゃくちゃ小さい。
主要な観光地は凱旋門と市場、噴水、メコン川位だ。
大げさではなく片道徒歩数十分で主要な観光地は大体まわれるだろう。
少し足をのばしたいときは自転車、バイクを借りたり、タクシーをチャーターする。
タクシーをチャーターすればブッダパークにも行ける。面白いので写真撮影に何度か友達連れて行ったことがある。
元々フランス領だったラオス。
ヴィエンチャンやルアンパバーンではフレンチレストランやカフェ、ベイカリーショップが充実している。
フレンチのコースは絶品で、日本や本場のフランスの相場では考えられないほど安い。
当時はバンコクで美味しい本格的なフランスのバゲットが手に入らなかったので、ビザのためだけでなく食を楽しみに暇を見つけてはラオスに遊びに行った。
バンコクの喧騒から一時的に離れ、ある意味リセットする時間と空間を持つことも自分にとっては大切だった。
ヴィエンチャンでまわるレストラン・カフェは何度も足を運び厳選していたので、そのときにはどこに行くかは大体決まっていた。
そのうちの一つ、雰囲気の良いフレンチレストランは凱旋門からさらに少し離れていたので、
市内のレンタルバイク屋で自転車を借りた。
しかしいざフレンチレストランに着くと、
レストランはたまたま休みだった。
がっかりして自転車に乗って市内へ戻る途中、凱旋門の前で自転車のチェーンが外れた。
仕方がないなと自転車を手で押しているときに突然、
「お嬢さん。どうされましたか?」
と日本語で声をかけられた。
初老の紳士的な男性が立っていた。
男性は田中さん(仮名、というか覚えていない)といった。
自転車のチェーンが外れたことを告げると、
すぐに通りかかったソンテウ(ピックアップトラックタクシー)をチャーターしてくれて、一緒に市内まで帰った。
歩いても10分くらいなのだが、ちょうど田中さんも市内に戻ると言っていたのでお言葉に甘えた。
レンタルバイク屋の前で降り、
「自転車のチェーンが外れた」
と店の人に告げて自転車を返した。
そこから目と鼻の先にあるラオス料理屋で
田中さんと昼食を食べた。
その後、向かいにあるカフェに入った。
このカフェも洗練されていて質が高い。
いつ行っても人で賑わっていた。
いつものカフェラテとチーズケーキを頼み、田中さんと2階にあがった。
田中さんは、突然
「すべては宇宙に決められているんだよ」
と言った。
どの話のタイミングだったかはわからない。
もしかすると、ラオスに来る直前に辞めてきた会社の話をしたからかもしれない。
「生まれて初めて人生において挫折を味わった」
と言うようなことを伝えたからかもしれない。
私は
「宇宙、ですか」
と返した。
返しつつ、
「あれ、田中さん、大丈夫かな...」
と一瞬思ったが、バンコクに住んでからある程度は他人のことを受け入れる器が大きくなっていたし、人を見る目は養われていたと思うので思い直した。
田中さんは、ラオスである事業を営んでいる社長らしかった。
受け答えをしていて怪しい感じはしなかった。
田中さんは、こう続けた。
「このカフェが繁盛しているのは、
トイレがきれいだからだよ。
ちゃんとこまめに掃除しているでしょ」
宇宙の後にトイレが来たからやや混乱したが、
「なるほど」
と伝えた。
「じゃあ今私が仕事を辞めてラオスにいるのも宇宙によってすでに決められているからなんですか?」
とか質問をいくつかして
「そういうこと」
というような返事を都度もらった。
ラオスのフレンチカフェと宇宙とトイレ。
予期せぬ言葉の羅列だったが、それでも
「全ての出来事は既に宇宙に決められている」
という考え方は面白いと思った。
それをそのまま信じるかどうかは、個人の自由だろう。
カフェで宇宙について少し聞いたあと、
田中さんとはさらっと別れた。
そこに感動も寂しさも
「明日もどこどこに行きましょう」
といったベタベタした人間関係もない。
「宇宙の話面白かったです。
では」
というだけだった。
その後、ヴィエンチャンに数日間いたのか一週間以上いたのかは覚えていない。
覚えているのは、期間を設けず、旅をしばらく楽しむことにしていたことだ。
辞めてきた会社でボロボロになっていた心と身体を癒し、自分自身を取り戻すには旅が一番だと知っていた。
会社勤めではまとまった長い休みが取れない。
これは旅人の自分にとっては辛いことだった。
いつものようにラオス式ハーバルサウナに行き、当時あった日本料理屋やラオス料理を堪能し、フレンチカフェ巡りをした。
その後マレーシア、タイ国内を少しまわってリフレッシュしてから、バンコクへ戻って就職活動をし、再就職した。