オリーブと仲良しの基準
家の前にあるたった一本のオリーブの木からオリーブの実をとれる範囲で収穫した。
大家さんも含め誰もこのオリーブを収穫しない。
飾りの木のような位置づけだから。
それでも、近所に住む農家のナッザレーノおじいちゃんがたまにこのオリーブの木を心配そうに見に来ては、「ちゃんと剪定しなきゃだめだ」と言って枝を切っていく様子を見たりしていたので、収穫した。
オリーブオイルにする量ではないので、オリーブの塩漬けを作ることにした。
オリーブをつんでいる最中に不意に思い出したことがあったので、以下に書いてみる。
友達を作る基準について。
あるとき、友人Aからオリーブオイルを頂いた。
オリーブの畑を持っているらしく、オリーブオイルをもらうまでそのことについて知らなかった。
何かのタイミングで違う友人Bに「そういえばAさんからオリーブオイルをもらった」と話したときに、Bが「オリーブオイルをもらえるならAさんと友達になりたい」、と言った。
私はその「〇〇が欲しいから友達になりたい」という発想そのものがなかったので、とても驚いた。
私は話していて楽しい人、一緒にいて居心地が良い人、自分の好きなことをしている人、自立している人と友達になることが多い気がするので、価値観が全然違うと思った。
もやもやしたが、それについてはBには特に突っ込まずに、
「へー」
と言って終わった。
そのときに、物だけではなく、肩書やお金持ちかどうか、権威があるかどうかで仲良くなろうとする人っているよな、と思い出した。
例えば、フィレンツェで美術学校に通っていたときもそうだった。
学校には喜怒哀楽が激しく苦手な先生が一人いた。
しかしその先生はそのアート業界では権力を持っていたので、裏では不満で愚痴ばかりでも、表では従順な態度を取る生徒も多かった。
大人な態度でやり過ごすのはわかるが、わかりやすくイエスマンになって従順な態度を取る人に対して少し違和感があった。
自分にはできなかったし、したいとも思わなかった。
またある友人は、
「相手からお返し、見返りが欲しいから、色々人に物をあげたり、世話をやいたりしてる」
と言った。
この発想も自分にはなかったので、新鮮だった。
でもよく考えれば、日本で「バレンタインデーに男性にチョコをあげるのは見返りを期待して」、という人も一部いるのだろうから、良いか悪いかは別として、そういう考え方もあるか、と思い直した。
ちなみに、与えたら見返りを待つというのは執着になって面倒くさいから、金銭か物々交換でその場でさくっと終わらせる方が自分は好き。
以前住んでいたバンコクにも、肩書で人を選ぶ人にたくさん遭遇した。
バンコクに来たばかりの人で「右も左もわからない」と言って仲良くしようと最初すり寄ってきた人が、やがてバンコク生活に慣れ、どんどん日本人コミュニティで有名になっていったりすると、会ってもあいさつせずにツンとする人もいた。
「役に立つか、立たないか」
「著名であるか、そうでないか」
「お金持ちか、そうでないか」
「権力があるかないか」
で判断されることがあって、
そのいずれにも当てはまらない私は簡単に切り捨てられる、ということはそのときにわかった。
そしてそういう人とはそもそも価値観が全然違うので、今後人生で交差することがない。
ただそれだけなので、悲しいとか虚しいという気持ちもなく、「とてもわかりやすい人だったな」で終わったりしていた。
「役に立つか、立たないか」
「著名であるか、そうでないか」
「お金持ちか、そうでないか」
「権力があるかないか」
これらにとらわれない人たちが残り、
今のところ関係を保っている、と思う。
そうであってほしい気がする。
でも相手からすると違うのかもしれないし、
自分も無意識のうちに利害関係に基づいて人を選び、関係を構築していっているのかもしれない。
それはそれで仕方がないことなのかな。
何だか塩漬けされる前のオリーブのように少しビターな話になってしまった。
とにかく、オリーブの塩漬けができるのが待ち遠しい。