海外住み女の頭の中

好きなヒト・コト・モノだけを自分のために書く

真似した言葉、本当の言葉

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ここ数日イタリアでも
ミラノがあるロンバルディア州を中心にコロナウイルスの感染者数が増え、少しピリッとし始めている。

今日現在
私の住むウンブリア州においては
感染者は2人なのだとか。

パニックになる必要もない。

私は専門家ではないので
コロナウイルスについての詳細は省く。
ニュース見てください。


今日は街を2時間ほどペルージャの市街地を歩いた。


マフラーで口まで覆っているイタリア人数名、
マスクをしている中国人3名とすれ違った。

ただ単に今日がひんやり風が冷たい日だった、
という理由だけではないだろう。

すれ違いざまに、
犬を散歩させていたイタリア人が咳き込み出し、
私に気遣ってか、慌てて手で口を覆った。

今まで友達含め
インフルエンザで咳をしていても
マスクはもちろん
手で口を塞ぐイタリア人はいなかった。

うちのイギリス人夫も咳、くしゃみをしても
手で覆わない(覆ってくれ)。
ついでに手も洗わない(洗ってくれ)。


数名のイタリア人とたったひとりのイギリス人を見た判断で恐縮だが、ヨーロピアンは咳やくしゃみをしても手で覆わないのかな?
やや顔をそむける程度。


うがいをする人は日本人以外でいるのだろうか?
というくらいタイでもイタリアでも見たことがない。

私はなんやかんやするけど。


コロナが流行する前にマスクをしている人を見たことがなかったし、イギリス人夫は、

「マスクはしない。
 ゴーグルするなり
 防護服も着ないと、
 マスクするだけでは意味ない」

と頑なに言っている笑。

よって夫のマスク姿を見ることは
この先もないのだろう。


とりあえず
くしゃみと咳をするときに手で塞ぐっていうのは
今後も最低限のエチケットとして周りのイタリア人とイギリス人若干1名に定着してもらえるとありがたい。


ところで最近はイタリアも春めいてきて、
桜に似たアーモンドの花や、
ミモザが咲き乱れている。


そのおかげか
私は一週間前から花粉症になり、
鼻水、くしゃみ、目のかゆみの症状が少しある。


今日街に繰り出すにあたり、
アレルギー用の鼻スプレーを薬局で買った。

ただでさえ見た目100%アジア人なのに
いきなり鼻水ずるずる、くしゃみを連発し始めたら、周りからひんしゅくを買いそうだったから。

自己対策として鼻用スプレーを購入し、
鼻水が出ないうちに
ワンプッシュずつしておいた。

これでよしっと。


小さいバールやお店には
親切心でさっと入って、
さっとでるようにしてあげている。

ペルージャの老舗のコッペパンに甘さ控えめ手作り生クリームを挟んだ絶品のブリオッシュ・コン・パンナを売っているバールに行った。

冬に食べたくなるので、ときどき行く。

席が空いてたけど、小さなバールで密集した状態。隣にアジア人がいたら嫌だろうなと思って、親切心からブリオッシュ・コン・パンナは持ち帰りにした。


今は広いスペースのあるお気に入りのカフェで
いつもオーダーする地中海ハーブティーを飲みながら、これを書いている。

パーソナルスペースが確保できるソファーに座っているから周りの人を気にせずにすむ。


私が少しイタリア人を気遣ってあげているのには理由がある。


先週の日曜日にキリスト教聖地のアッシジへ行った。

そこで
初めてすれ違いざまに

「コロナ」

と呼ばれてしまった。

遠足に来ていた集団の子どもたちのうちの、
男の子2人だった。
10歳前後だろうか。


コロナウイルスのニュースが流れ始めた1ヶ月くらい前から、
私もイタリア人からいつか「コロナ」と呼ばれるかもしれないと心の準備ができていた。

だから別に平気だった。

「あ、ついに来たか」

ってだけ。

ただ子どもから言われるとは思わなかった。
ちょっと油断してた。

大人なら動画でも撮ってやろうと思ってたから笑。


外国人にとっては
日本人も中国人も
区別がつかない。
仕方がない。

私が今朝中国から到着した観光客なのか、
はたまた
イタリアに住んでいる日本人なのか、
対話しない限りイタリア人にはわからないと思う。


イタリアで住むにあたっては
私は日本人というだけでなく
アジア人だと自覚して生きている。

だから、韓国映画「パラサイト」がオスカー作品賞を受賞したときも純粋によかったなあと思った。

今までは英語の映画でなければ受賞のチャンスがなかったし、その点でアンフェアだと思っていた。


すぐにミニシアター系の映画館に行き、
イタリア語字幕でパラサイトを観た。

コメディあり、狂気ありで
よくできていた。

イタリア人の友人2人も
興奮気味に、

「面白かった。ハラハラしっぱなしだった」

と言っていた。


あ、いつものことながら、話がそれた。


ただ最近イタリアを旅行したフランス人が
パリに戻って学校から2週間休むよう言われたという話も聞いたので、イタリア人も他のヨーロッパ諸国から見ると差別のターゲットになり得る。

だからもう、中国人だ、日本人だ、イタリア人だという段階ではないのだ。


話を戻すと
私はコロナと子どもたちに呼ばれても
怒りも悲しみもわかなかった。

どちらかというと、

「ああ、大人たちが普段から平気で人種差別をしているからこうやって子供がまねするんだよなあ」

と思った。

ウイルスが悪いのであって
人種に問題があるわけではない。

だから何人が悪いというのはナンセンス。

どう対策するか、していくかを学ぶだけ。
海外の事例も参考になるから、積極的に学んでいくべきだろう。

ニュースを見る限り
イタリアも普段とは違い笑
コロナウイルスに対しては
迅速に対応してくれているようだ。

このくらいいつものお役所仕事も早くこなしてくれると嬉しいのだが笑。


日本、イギリス、アメリカと同様に
イタリアも右翼化している。

もちろん全員ではない。


私もイギリス人夫も
イタリアにおいては外国人なので
この移民排除、右寄りの流れは
良く思っていない。


イタリアでは選挙権がないので
何もできないけど。


おっと、
私の右寄りの友達が離れていくな笑

それでもいい。

自分の考えだから。



私はただ単に多様性を認めてほしい。
多くは望んでいない。

女性の権利。
LGBTQの権利。
人種差別。

この辺りは特に個人的に関心を持っている。


日本で隣国に対してヘイト発言をしたり、
身近な話題だと、
日本の選択的夫婦別姓について反対している人がいると、もうわけがわからない。

それが日本の政府であるなら、
なおも理解できない。

それを支持する人の気持ちもよくわからない。

「あなたに迷惑かかってないのに?」

と思ってしまう。



だから
タイではもっとLGBTQに寛容だよ、
とか
国際結婚では別姓が普通だよ。
イタリアというかヨーロッパでは別姓が普通だよ。
日本が変なんだよ。

ということは
知っている限り今後発信していきたいと考えている。


外国人だって地球人だし
同じ人間。

日本人と同じように
良いところも
悪いところも
ダサいところも
意地汚いところもある。


外国人と普段接したり
一緒に暮らしたりすれば
文化的背景の違いや影響は多少あるにせよ
最終的に何人とかあまり関係がないってことに気がつく。


でも自国から出たことがない人や、
出たとしても普段外国人と深く対話しない人には
あまりピンとこないのかもしれない。


人種差別についてはメディアの影響がかなり大きい。


ときどき日本に帰って友達と会うと、
話題が同じだったりする。

「中国が〜、韓国が〜」

という隣国の話が随所に盛り込まれる。

以前は一度もそんなこと言ってなかった。


考えられる一番の要因は
日本のメディア、SNS

テレビやネットを受動的に見すぎて
思考が似通ってきてると思う。

「いや、前から右寄りだよ?」

という人もちろんいると思うけど、
少なくとも日本と隣国の関係が悪くなる以前は
一切話題に出たことがなかった。


しかたがない部分もある。

世界的にそういう流れだ。

移民も多く、不満もヘイトも溜まっていく。
各国に対して強硬な姿勢をとったり
人種差別、ヘイトを煽る政権が選挙に勝つ。


それを見て、

「私も差別していいんだ!」

と一般人が真似をする。


思考するのはもちろんその人の自由だ。

それでも
ある特定の性別や人種を否定したり差別したりする発言はやめてほしい。


子どもが真似するから。


私を「コロナ」と悪気なく呼んだ子どもたちのように、平気で言っちゃうようになる。


これは日本人もイタリア人も、関係ない。


誰かの放った差別的な言葉は
誰かを確実に傷つける。


普段の自分自身の鬱憤を別のかたちで、
もっというといじめや差別をすることで晴らしたい人が、

「私も、僕も」

と真似をする。

差別が連鎖していくメカニズムだ。


なぜ真似をするのか?
なぜ差別は連鎖するのか?



それは

自分の考えを持っていないから。

自分の意見を持っていないから。

自分の言葉を持っていないから。


ネトウヨと呼ばれる人や
現首相崇拝者の書いている文章を
課題の分離をしながらさらっと読むと、
あることに気がつく。


マニュアルでもあるんじゃないかと思うくらい
同じような話し方をし、
同じパターンで話を持っていく人が多い。


「その言葉は
 本当に自分自身から生まれた言葉なのか?

 誰かの真似をしているだけではないか?」



自分自身にも常に問いかけたい。


私は自分の本音だけで
自分の言葉を紡いでいきたい。