海外住み女の頭の中

好きなヒト・コト・モノだけを自分のために書く

選択をする人、止める人

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日本の教育方針では

「失敗したら終わり」

「レールから外れてはいけない」

「みんなと同じであれ」

という考え方を否が応でも植え付けられる。

不安を煽るようにメディアでも繰り返し言われているし、日本にいる日本人と話してもそういう空気を感じる。


だから大学入試の失敗をしないように勉強しないといけないと思われがちだし、勝ち取った学歴を一生掲げながら生きている人もいる。

そこで敗北した人はこそこそと自分を隠しながら生きるよう仕向けられる。


誰かの決めた勝ち負けで線引きされる。


勝ち組、負け組。

負け犬の遠吠え。

なんて言葉がその時代時代に流行る。



私は小学生の頃はミニバス部、中学生の頃はバスケ部に所属していた。

特に中学校のバスケ部は体育会系。
市だか県大会に出場する割と強豪校で
上下関係はもちろんのこと、
教師の指導はかなり厳しかった。

朝練と夕練。
土日。
夏休み、冬休み。

すべての予定は
ほぼバスケで埋まっていた。


今では体罰に対する世間の目が厳しいのでないかもしれないが、
小学校のミニバスでは、熱血教師がシャウトしながらパイプ椅子を蹴ったりしていた。

中学生の頃はほぼ言葉の暴力。
恐怖政治ではないが
一日に何度も怒鳴られるのが当たり前だった。

「失敗してはいけない」

と恐怖に縛られると
さらに身体がこわばり、
シュートを外してしまう。

シュートを外せばさらに怒号が響く。

とにかく怒鳴られないように
先生や先輩の前ではいつもオドオドし
極力目立たないようにしていた。

しかしそれが当たり前の世界、時代だったので、
おかしいと思いながらも部活を辞めることはなかった。


高校生になった。
女子校だ。


高校においても部活動が盛んだった。
文化部と運動部、どちらも。

私は新入生歓迎会か何かで
オーケストラ部の演奏を聴き
心を奪われてしまった。

言葉ではうまく言えないが
心臓がバクバクして
身体が震えるほど感動した。

オーケストラ部は当時全国コンクールの日本一を連続で受賞していて、そこにも興味が湧いた。

「日本一になるってどういう気分だろう?」

と。


だから私は、
吹奏楽もやったことがなく、
ピアノも習っておらず、
楽譜が読めなかったにもかかわらず
バスケ部ではなく
オーケストラ部に入ると決めた。


高校生になってもバスケ部に入ることを当たり前のように周りの大人たちに期待されたが、
自分の心の声が激しく

「嫌だ!!!」

と叫んだ。

迷った末にここで初めて明確に拒否をした。

私がオーケストラ部に入ると決断をし、
それを伝えたときの周りの大人たちの反応は、
私の予想に反して凄まじかった。

「それは裏切りだ」

「人として最低のことをした」

「お前に何ができる」

「ピアノも習ってないくせに」

「オーケストラ部の顧問の先生と話して辞めるよう説得する」

これらは誰とは言わないが、
身近な大人たちの声だった。


これは、本当に驚いた。

私の選択が
誰かに反対されると思っていなかったから。

今考えると
この大人たちは
私に過度の期待を寄せてきていた人たちだった。

私を利用し、彼ら自身が果たせなかった夢を叶えたかった人たちだ。

だから私が彼らの期待とは異なる選択をしたときに
激怒した。

そして、汚い言葉、蔑んだ言葉を使い、
私を止めようとした。



しかし私は反対する大人たちの声を一切聞かなかった。

心のどこかで自分は正しいと思っていた。

「やったことがないけど、やってみたい」

それは
初めて自分の声をきちんと聴いて、
選択した瞬間だった。



このときに大人たちの思惑にはまり

「やっぱりやめよう」

と思ったなら、
私は自分の人生を歩むことは一生できなかったかもしれない。

誰かの期待通りになるように演じて
自分の欲求を封印し続けて生きたのかもしれない。


その先は想像したくないが
あえて想像するなら
パペットか生きる屍だ。

そうならなくて良かった。


高校生の私がきちんと大人たちに
NOといったことに
今では感謝している。




周りのオーケストラ部のみんなは
ピアノやエレクトーンを幼少期から高校生まで習っていた。

もしくは小学生、中学生の頃から吹奏楽部などに入り何かしらの楽器演奏経験者だった。


だから部内で楽譜が読めなかったのは
私だけだった。

楽譜の音符が少ないからまだいけそうだ、という理由で、パートは自分の身体と同じくらいの大きさの弦楽器、コントラバスに決めた。

他の楽器に比べ、弦楽器は初心者が多いというのも決め手になった。


課題曲が決まると
譜面が渡される。

楽譜が読めなくて困っていた私に

「これはタンタタンだよ」

と友達が教えてくれて、楽譜の音符の上に

「タンタタン」

とそのまま書いた。


そのうち
課題曲のCDを聞いて、
聴いた通りに弾くという能力を自然と身に着けた。

そうして、

「ここは、タンタタンだな」

と友達に聞かなくてもわかるようになっていった。


私は絶対音感と言い切る自信はないが、
大体音感は持っていた。

それは現在、語学力に活かされている。

もちろん、音楽をやってみるまでわからなかった。


コントラバスの朝練、昼練、夕練は自主的にやった。
誰かから強制されたわけではない。

自分だけではなく
多くの仲間たちがそうだった。

純粋に、練習が楽しかったからだ。


音楽を心から楽しいと思い、
それだけを考えて高校生活は過ごした。

高校は割と進学校だったが、
高校に入った瞬間に勉強は一切辞めた。


中学生のときの見せかけ優等生とは違い
高校生になってからはもれなく赤点女となったが
まったく気にしなかった。


英語と選択の美術だけ楽しかったのでちゃんとやって、他の授業はほぼ睡眠時間に宛てた。

クラシックだけやっていればいいと決め、
朝から晩までのめり込んだ。

周りの先生も部活に励んでいることをわかっているようで、勉強が疎かになっていても咎めたりはしなかった。


指揮者である顧問の先生は放任主義
すべて各パートに練習方針は任せていた。

ときどき全体の音合わせに指揮して、
ちょこちょこと少ない言葉で指示して終わり。

怒鳴ることは決してなく、
静かな声で

「ここの音、低くならないように」

とか

「リズム走らないで」


という感じ。


楽譜が読めず、
音楽もろくにやったことがなく、

「お前に何ができる」

と言われた私であったが、
2年生になり自分たちの代に変わるとき、
先輩の推薦で、
コントラバスパートリーダーになった。


ところで私たちは
東京フィルハーモニー交響楽団コントラバス奏者をときどき学校に招いて、コントラバスを習っていた。
数カ月に一度。

プロから弾き方と、
基礎を毎日練習することの大切さを教わった。

私たちを

「僕のお弟子さん」

と呼び、

どうせ子どもの部活動だと、私たちを子ども扱いし、適当にあしらう楽器屋も多かった中、
楽器屋に直接電話して
私たち高校生に舐めた対応をしないように
話を通してくれたこともあった。


私たちの代は
全国オーケストラコンクールで
日本二位となった。

一位ではなかった。


「一位になれなかったです」

と泣きそうになりながら
東フィルの先生に電話したら

「何言ってるの?
 二位でもすごいでしょ?
 自信持って」

と励まされた。

勝ち負けはどうでも良い。
順番はどうでも良い。

そう教えてくれた。


目標に向けて練習し
最高のパフォーマンスをするとは
どういうことか?

をオーケストラを通じて体験できた。

心も身体も揺さぶられる音楽を学べたのは
人生で最高の思い出のひとつだ。


初めて誰にも怒られず、
自分の弾きたいように演奏できた。


そしてこの経験は、すべて私が自分の声に従って選択したことが始まりだった。

私の意見に反対し、自分の意見を押し付けようとする大人たちにNOを突きつけた勇気。

そういう大人たちとのかかわりを断った先には、
信頼し、応援してくれる大人たちが待っていて、支えてくれた。

私が失敗を恐れずに、
大人たちにNOを突きつけたから、
新しい世界が開けた。


誰にも怒られず
怒鳴られることを恐れない世界。

音を楽しむ世界。



今の時代
同調圧力がおかしいと若い人は気づき、声をあげ始めている。

インターネットやSNSを駆使すれば、
簡単に外の世界と繋がる。
世界の動きも日本の矛盾もすぐにわかる。
自分のいる世界がすべてではないとわかっている。


変わらなければいけないのは
大人たちだ。


私は
誰かの失敗を許せる人でありたい。

「それは失敗じゃないよ」

と言いたい。

新しいことを始めようか迷っている人の背中を押してあげたい。

過干渉せず

「やってごらん」

と信頼して放つ人でありたい。


自分自身に対しても。


それは失敗じゃなくて
勇気を出した証。


勝ち負けではない。
勝ち負けはどうでも良いと。


誰かの選択を反対する人と応援する人。

自分を信じて選択する人、
無理だと思って諦めて選択しない人。

どちらの側でありたいか。

私は
自分で選び、
また
誰かの選択を応援する人でありたい。


自分が選択を重ねて小さな成功体験を少しずつ増やしたように。

自分が認めてもらって嬉しかったように。


ときどき忘れてしまうけど大切なこと。

忘れないようにここに書いておこう。





あなたの選択はどちらですか?