海外住み女の頭の中

好きなヒト・コト・モノだけを自分のために書く

ザワザワの正体

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急に焦りというかザワザワした気持ちに駆られた。
この焦りはどこから来るのだろう。

わからないが、膿だらけのニュースに日々振り回されていて、疲れがたまってきたのかもしれない。

ザワザワした気持ちになっているときは、
自分の呼吸が浅くなっていることに気がつく。


1, 2, 3, 4... とゆっくり数えながら息を吸い込み、お腹を膨らませる。

1, 2, 3, 4, 5, 6, 7, 8... とゆっくり数え、お腹をしぼませながら息を吐く。

呼吸をしながらお腹を膨らませ、へこませることに意識を集中させる。

すると、自然と意識を自分の中心に向けることができる。

自分の軸を感じれば、気持ちが少し落ち着く。



もう一つ身体の不調サインがある。
ストレスを感じているときは右側の腰が重くなる。

呼吸が浅くなり、酸素がうまく取り込めていないと、体全体に酸素が行き渡っていない気がする。

意識して、取り込んだ酸素を腰や背中まで循環させるようにする。

身体は心と繋がっていて、正直だ。


意識を研ぎ澄ませると、
頭の中の雑音は消え、
代わりに鳥のさえずりや虫の鳴き声が聴こえてくる。



久しぶりに海がみたい。

本当は3月12日の誕生日は、マルケ州のビーチに行って過ごす予定だった。

しかし3月10日からイタリアはロックダウンに入ってしまったので、それが叶わなかった。

ロックダウン中は不思議と出歩きたい気持ちがなく、家の周りで自然の中に新たな発見をして満足していた。

でもここに来て、海に呼ばれ始めた。

泳げなくてもいいから、海沿いをずっと歩きたい。

新鮮な海鮮料理を食べたい。

しかし、ペルージャのあるウンブリア州はイタリアで唯一海に面していない。

トラシメノ湖はあるが。


ザワザワとした焦りと同時に、
昨日鍵が真っ二つに折れた。
鍵の先端部分は鍵穴に入ってしまい取れない。

残り半分の鍵を差し込めば、
内側から鍵は閉められる。


また物が壊れた。

台所のシンクのパイプも数週間前から何かが詰まっていて水はけが悪い。
パイプクリーナーも何度か試し、ゴムも試したがだめだった。
オーナーも強力なパイプクリーナーで試してくれたけど、ビクともしなかった。

鍵穴もパイプも、業者を呼ぶしかない。


物が立て続けに壊れることが時々ある。
3月は家電製品が立て続けに壊れた。

車、パソコン、イヤホンが壊れ、何も触っていないのに突然ブレーカーが落ちたりもした。


「何が言いたいの?」

自分自身に問いかけるけど、そのときはまだわからなかった。


翌朝、立て続けに4人の友達からメッセージが届いた。

ひとりは、ペルージャに住む日本人の友達。
私が前回の記事に貼った写真の花、Love-in-a-mist(霧の中の愛)の名前から思い出したことがあったらしい。
日本語名はクロタネソウと言う。

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ちなみに今wikiを見たら、Devil-in-a-bushとも呼ばれるらしい。
ちょっとワクワクする響きだ。

              • -

Nigella is a genus of 18 species[1] of annual plants in the family Ranunculaceae, native to Southern Europe, North Africa, South Asia, Southwest Asia and Middle East. Common names applied to members of this genus are nigella, devil-in-a-bush or love-in-a-mist.

              • -

(https://en.m.wikipedia.org/wiki/Nigella)


私はなぜ、霧で数えられないのに、In the mistではなくIn a mistと表現されているのか、についてときどき考えている。

霧は、1霧、2霧と数えられるものではないのにもかかわらず、敢えて'a' なのは何故か。

1つの粒子の中(In a particle)だったら、イメージができる。

しかし、In a mistとしたのは、霧を集合体の1つと考えたのではないか。

粒子が集まってできた集合体。

そのある集合体の霧の中に愛は存在する。
けれど、どの霧にも愛があるわけではない。
「ある」霧の中においては、ということだ。

愛の深さ、愛情のあるなしは、同じではない。

人による。

集合体になるには、制限をかける。
枠があってはじめて、数えられる存在になる。



二人目はパリに住むイタリア人の友達。

「あなたの話を友達にした。
田舎で隔離しているあなたのことをいつも以上に何度か考えた。
隔離中のパリより」
(彼女の思考と文章は文学的すぎてときどき良くわからない笑)。


三人目は、ペルージャに住むイタリア人の友達。

「自然の中でアルツハイマーの叔母と過ごしている。以前学んだオルトテラピア(農業セラピー、アグリセラピー)を試した。
最近ペルージャのチェントロ(市街地)に人が多すぎで心配。みんな油断しすぎ。
あと前に一緒に作った味噌はもう食べていいの?」


最後の四人目は、ペルージャに住むドイツ人の友達。

「前に一緒に作った味噌はもう食べてもいいの?」


面白いなあ。

味噌について聞いてきた人が二人いた。
自然や田舎について話す人もいた。
集合体や枠、愛についても考察した。


「何かがシンクロしているのだろうな」

と思ってそのままメッセージを閉じた。


私はすぐに返事をしないことのほうが多い。
反射的にするときもある。

しかし基本は気が向いたら、にしている。



今「ペスト」を読んでいる。
文体がやや古風なのと訳書のため、ところどころ違和感があり、スムーズに読むことができずやっと半分読み終えた。

私は気に入った本は1日で読んでしまうのだが、
訳書は読むスピードが遅くなることがある。

私も翻訳者だから、訳すことの難しさは重々承知しているので、訳にケチをつけたいわけではない。


最近は本を読む気になれない状況が2ヶ月続いていた。

ニュースを追い、発信に力を注いでいたから、自分の中に本から新しい情報を受け取るスペースがなかった。

でも昨日あたりから、木陰やベッドの中で本を読めるようになってきた。


今朝も外の椅子に座ってページを開いた。

「5月のブローニュの森と女騎士、馬、咲いている花々」

について記述があり、メモを取った。

登場人物たちが、この記述に適切な形容詞などの表現を探しているシーンだ。

ペストで人々は精神的にも肉体的にも疲弊していたが、そんな状況においても、言語表現についてああでもないこうでもないと考察し、適切な言葉や表現を探しているシーンには、惹かれるものがあった。

何に惹かれているのか、については具体的にはわからない。

けれど私も翻訳するときは適切な言葉を探すから、その状況とリンクしたのかもしれない。


パリのブローニュの森は、パリに住む友達からのメッセージにも繋がった。

少し前、日本がコロナ禍に入った辺りは、
ジャンヌ・ダルクの絵が頭にチラついていた。

フランスに呼ばれているのだろうか。


最近ツイッターでフランスやスペインに住む人と繋がることが多い。

私はいつか南フランスか南スペインに住んでみたいなと思っている。

多様性のあるマルタも住みたいけど、
食べ物をイタリアに依存している国なので考えが変わった。

今後は自給自足をしている国が鍵となるだろう。



ところで
ザワザワの理由はなんとなく掴めてきた。

イムリミットだ。

今借りているアパートは実は旅行者のためのリゾート。

ロックダウンが解除され国境が開かれたら、例年通り旅行者がヴァカンスに来るだろう。

私の住むアグリツーリズモにはプールがあるし、
夏場は北ヨーロッパから家族連れの旅行者がひっきりなしにやってくる。

オーナーは毎年このヴァカンス期間の収入にかけている。

オーナーはお金のことで頭がいっぱいのようで、
いつもお金の不安を口にしている。

その人自身の捉え方だから関与しないけれど、
お金に振り回されて生きるのは精神的に疲れるだろう。


毎年夏になると、わざわざ遠くから車で乗り付けてくるヨーロピアン達に対して、

「こんな田舎に来て楽しいのかな?」

と密かに思っていた。

しかし何もないからこそ旅行者にとってはパラダイスなのだと今回のコロナでわかった。

もちろん、車を走らせればさまざまな観光地に行ける。
自然以外にも見所はたくさんある。


とにかくそういうわけで、
このままいくと、今のアパートを来月には追い出されてしまう可能性がある。

というかそれを最初から承知の上で借りている。


一昨日オーナーと話したときに、来月以降のことは今月末にまた様子を見て話そうと言われた。

旅行者の予約状況とイタリアの感染状況を注視する必要がある。

イタリア国内のみならず、他国から旅行者を受け入れるとなると、宿の毎回の消毒も大変だろう。


私はいずれ他の場所に行きたいという気持ちはあるが、混乱している今はここに留まるべきだと思っている。

外的な理由で動くか動かないかを決められることが嫌だ。

だからタイムリミットに心がザワついているのだとわかった。


こんなとき、どう構えるか。


きっとあれこれ考えても仕方がない。

未来のことを考えすぎても、すぐには変えられないし動けない。

もちろん、理想はもっていたい。


今はただ、精一杯「今」を生きることに集中するしかないのだろう。


1日たったらザワザワがおさまった。


今は満開のジャスミンの香りを楽しみながら
深呼吸をしよう。


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